長 崎
長崎は九州の西部にあります。
県庁所在地の長崎市へは鉄道では博多駅から写真の特急「かもめ」で約2時間で着きます。
車では長崎道の長崎IC等を利用します。
左の写真は現在の長崎駅です。
以前は右の写真のように三角屋根の駅舎でしたが、2000年(H12)にアミュプラザ誕生とともに現在の駅舎となりました。
駅前には市電が走っていますが、どこまで乗ってもワンコイン(100円)です。観光スポットの近くを走っているので、旅行にはとても重宝します。
駅前にあるNHKの裏には日本26聖人殉教地の碑があります。
現地にある看板には…
「慶長元年12月19日(1597年2月5日)6名の外国人と20名の日本人が豊臣秀吉のキリシタン禁令のため大阪・京都で捕えられ、長崎に護送され、長崎の町に面したこの地で処刑されたのである。
この26名の殉教のできごとは、ヨーロッパその他に広く伝わり、文久2年(1862)ローマ教皇は、盛大な祭典をローマで行い、26名の殉教者を聖人に列し、「日本二十六聖人」と称せられたのである。
長崎市教育委員会 」
と書かれてあります。
十字の下の部分にはマルコの福音書8章34節の聖書のことばが刻まれています。
北部の浦上地区には1945年(S20)8月9日に原爆が落とされました。
写真は原子爆弾落下中心地(グラウンド・ゼロ)です。
現在、この場所は公園になっており、原爆で壊れた浦上天主堂の柱などが保存されています。
また、近くには原爆資料館があります。
少し、離れたところに平和公園があります。
ここには平和祈念像や長崎の鐘などがあります。
もう少し離れたところに浦上天主堂があります。
ここは正式には「浦上カトリック教会」いいます。現地にある看板には信徒数8,500人と書かれてありました。毎早朝、土曜の夜、日曜の午前2回、ミサ(プロテスタント教会でいう礼拝)が行われています。中には入れませんが、ミサには出席することができます。私も水曜早朝のミサに出席しましたが、厳粛な雰囲気、きれいなステンドグラス、聖餐式が印象に残っています。ここでは毎日、聖餐式が行われているのでしょうか?
中心部の北側には眼鏡橋があります。
現地にある看板には…
「中島川の第10橋、わが国最古の石造アーチ橋で寛永11年(1634)興福寺唐僧黙子禅師によって仮設された。
黙子禅師は中国江西省建昌府建昌県の人で、寛永9年(1632)に日本に渡来したが、石橋を架ける技術指導者でもあったようである。しかし、この眼鏡橋は、正保4年(1647)6月の洪水で損害を受け、慶安元年(1648)平戸好夢によって修復がなされた。川面に映つるその姿から、古来より「めがね橋」の名で長崎の人たちに親しまれていたが、明治15年に正式に眼鏡橋と命名された。」
と書かれてあります。
この橋は1982年(S57)の集中豪雨により流されてしまいましたが、写真のように復元されました。
南に行き、中心部には中華街があります。
写真は北門です。十文字のそれぞれ端(東西南北)に写真のような門があります。
長崎名物のちゃんぽんを食べたりするのもよろしいのではないでしょうか。
南部の山手地区は異国情緒にあふれています。
東山手地区にはオランダ坂があり、登っていくと活水女子大学や洋館があります。
南山手地区には大浦天主堂があります。
現地にある看板には…
国宝大浦天主堂のご案内
「当天主堂はジラール・フューレ両神父(パリ外国宣教会)の設計のもとに1864年12月29日に俊工された。
正式な名称は日本26聖殉教者聖堂であり、地名をとって通称大浦天主堂といわれる。
ゴチック建築式の西洋建築物として昭和8年に文部省により国宝に指定されている。」
と書かれてあります。
その先にはグラバー園があります。グラバー園からは写真のように稲佐山(いなさやま)(標高333m)や長崎港が一望できます。
その他のおすすめスポットとして稲佐山からの夜景(函館、神戸とならんで3大夜景といわれています)をご覧になるのもよろしいのではないでしょうか。
次に、空から見てみましょう。
中心部を北東側から見ています。中央の緑が稲佐山で、その少し下あたりが長崎駅です。中央上部にある細長い島が伊王島(いおうじま)です。クリックすると拡大します。