道 南
道南を北から南へとまわってみましょう。
札幌と函館の中間には洞爺湖と有珠山があります。
左の写真は洞爺湖の遊覧船から見た有珠山です。洞爺湖の湖面の標高は84m、有珠山の標高は737m、とても高いのがわかります。
右の写真は同じく遊覧船から見た羊蹄山です。標高は1,898mで、末広がりのきれいな形をしています。
有珠山へはロープウェイで登ることができます。
これらの写真はロープウェイから撮ったものです。左は洞爺湖です。右は昭和新山で、標高は402mです。
函館の手前には大沼と駒ヶ岳があります。
最寄駅はJR函館線の大沼公園駅です。特急も停まります。
5月下旬に訪れましたが、駅前には芝桜がきれいに咲いていました。
下の写真は大沼から見た駒ヶ岳です。標高は1,131mで、雄大さを感じます。
亀田郡七飯町(かめだぐんななえちょう)本町には国際福音宣教会の教会で七飯福音キリスト教会があります。
白い壁のきれいな教会です。
函館市内に入ると、中心部の北東側には五稜郭跡があります。
すぐそばには五稜郭跡の全景を見渡すことができる五稜郭タワーがあります。
2006年(H18)3月に完成し、高さは107mあります。
写真では取り壊し中の旧タワー(高さ60m)も見えます。
JR函館駅の南西側のウォーターフロント地区には金森赤レンガ倉庫があります。
倉庫として使われなくなった後は、かなり荒れ果てていましたが、化粧直しされ、現在はおしゃれなお店が入り、ショッピングが楽しめ、函館を代表する観光スポットとなっています。
さらに南西側の元町地区には函館ハリストス正教会があります。
現地にある看板には…
宗教法人 函館ハリストス正教会
「包括団体「宗教法人:日本ハリストス正教会」は全世界に2億人を越える信徒を持つ、約2千年前に創立された東方キリスト教会の中に所属しています。
日本には1861年(文久元年)の6月14日、現在地:函館ロシア領事館に到着し、伝道を開始されたニコライ修道神父により伝えられました(1970年、彼は日本の亜信徒・大主教として聖人になる)。
ハリストスとはギリシャ語のΧΡΙΣΤΟΣ(CHRIST.救世主)の日本語読みで、新約聖書がギリシャ語で書かれたことより使用されています。日本の本部は、東京都千代田区にあり神田駿河台のニコライ堂(国指定重要文化財)、与謝野晶子の歌「ニコライのドオムの見ゆる小二階の欄干の下の朝がほの花」で有名です。
函館は日本正教会の一つの枝にあたり、明治元年1868年のキリシタン禁制下、3名の日本人が最初に洗礼を受け、伝道活動を開始しました。一人は幕末から明治に名を刻んだ土佐藩士:坂本龍馬の従弟(父親同士が兄弟)坂本数馬や、一人は宮城県栗原郡の人(大阪、緒方洪庵の塾でオランダ医学を学び函館で開業した医師:酒井篤禮や、一人は岩手県下閉伊郡山田町出身の商人:浦野大蔵がいます。また京都で同志社大学校生みの親、新島七五三太(ニイジマシメタ)、クリスチャン名ジョウを米国に送る福士卯之吉に紹介したのも函館の修道司祭ニコライ神父と言われています。
当時の函館には南部藩士多数が単身赴任しており、彼らも上記3名の教えにより洗礼を受け、明治7年百名以上の藩士が盛岡に戻り、加賀野新小路の家老屋敷・西海枝勝己宅を会堂として、青森県、岩手県、宮城県などにも伝道活動を始めました。盛岡で受洗された方には時の総理大臣:原敬の親族:原祐知や一族、石川啄木の恩師:新渡戸仙岳や一族、横川省造の父母や兄弟などがいます。
その他全国に80ヵ所の教会堂があり、国の重要文化財指定聖堂は、上記東京千代田区のニコライ復活聖堂、京都烏丸通りの生神女マリヤ福音聖堂、また当地元町函館正教会復活聖堂があります。」
その後に、祈祷案内、集会案内が書かれてあります。
その近くには日本聖公会・函館聖ヨハネ教会があります。
ドーム型をした屋根が特徴で、真上からですと十字に見えます。
写真は函館山から見える景色です。
上の写真は北東側を見ています。左側の写真には遠くに駒ヶ岳が見えます。
左下の写真は南部を見ています。水平線近くの雲の合間から下北半島が見えます。クリックすると拡大します。
右下の写真は有名な夜景です。とてもきれいで、陸と海の部分がはっきりわかります。
今でこそ北海道〜本州の移動は飛行機が主流になりましたが、昔は鉄道が主流で、北海道〜本州の移動は青函連絡船が使われていました。
青函連絡船は1988年(S63)3月13日に青函トンネルが開通したので廃止になりました。
写真は1988年(S63)7月下旬に一旦、廃止後、青函博を記念して臨時運航された時に撮影したものです。
左は函館山です。標高は332mです。
右は下北半島をバックに写真を撮りました。(20歳の時の写真です。若い!)