壱 岐
壱岐は玄界灘に浮かぶ歴史とロマンに溢れた島です。
江戸時代までは1つの島だけで壱岐国を形成していましたが、廃藩置県で肥前国、対馬国と一緒になり長崎県となりました。
(その後、旧肥前国の一部は別れて、佐賀県となっています)
船は福岡市博多区の博多港からと佐賀県唐津市の唐津東港から出ています。
写真は博多〜壱岐〜対馬を結んでいる「フェリーちくし」です。
博多港からはフェリーで2時間10分、ジェットフォイル(高速船)で1時間10分で郷ノ浦港または芦辺港に、唐津東港からはフェリーで1時間40分で印通寺(いんどうじ)港に着きます。
飛行機は長崎空港から出ています。30分で壱岐空港に着きます。
壱岐にはかつて壱岐郡芦辺町(あしべちょう)、石田町(いしだちょう)、勝本町(かつもとちょう)、郷ノ浦町(ごうのうらちょう)の4町がありましたが、2004年(H16)3月1日に合併して壱岐市になりました。
それでは、郷ノ浦港から時計周りに各地を見ていきたいと思います。
なお、原の辻遺跡は別ページで紹介しています。
郷ノ浦港近くの丘の上には春一番の塔があります。
ちなみに気象用語で使われている春一番はここから始まりました。
右の写真は春一番の海難記です。クリックすると拡大します。
郷ノ浦港から少し進むと丘の上には小さな美術館があります。
北海道を思わせる建物が特徴的です。中ではハーブティーを飲むことができます。
郷ノ浦港から北西方向へ5kmほど進むと牧崎公園があります。案内板はクリックすると拡大します。
その一角には鬼の足跡があります。名前の由来は穴の形が鬼の足跡に似ているということです。
写真は壱岐でいちばん有名な観光地である猿岩です。黒崎半島の先端に高さ45mの岩があります。見た目が猿に見えるので、その名が付いています。
ちなみに左側上部が顔、右側が背中になるそうです。
右上の写真には遠くに対馬が見えます。クリックすると拡大します。
猿岩のそばには黒崎砲台跡があります。
現地にある絵で描かれた看板には…
概要
「この要さいは、戦艦土佐の40センチ主砲を取りつけて造られた。
砲身の全長 18m
砲身体の重さ 150t
砲の口径 40cm
弾丸の直径 40cm
弾丸の重量 1000kg
射程距離 35km 」
と書かれてあります。
島内にはたくさんの古墳がありますが、その中でもいちばん大きい古墳群は島の中央にある百合畑古墳園です。
その中でもいちばん大きい百合畑15号墳です。
2枚の写真はクリックすると拡大します。
島の北部にはイルカパークがあります。泳いでいるイルカを見ることができます。
イルカの案内板はクリックすると拡大します。
島の中央には鬼の窟(おにのいわや)があります。
現地にある看板には…
鬼の窟古墳
「壱岐全島には、鬼の窟と称する横穴式石室墳が多く、とくに島の中心となる本町国分附近は古墳が多く、古くから知られている。
この古墳は壱岐で最大で典型的な横穴式石室墳で構造からみて六世紀末から七世紀はじめの頃の築造と思われる。又壱岐名勝図誌にも、笹窟として石室、古墳の周囲、高さ等も明記してあって、全国から見学者も多く来ていたようである。この古墳の石室の天井石で、最大のものは、四メートル余りあって、羨道の第一、第二、第三室と玄室からなっている。実測図にあるように玄室は三メートル余りの正方形で高さ三、五メートル、奥行十六メートルのみごとな古墳である」
と書かれてあります。クリックすると拡大します。
島の中にはキリスト教に関する遺跡もあります。
芦辺港から南方向へ3kmほど進むと長泉寺跡のマリア観音があります。
禁教時代に仏像に似せて造られたものです。
さらに南方向へ2kmほど進むと安国寺境内にはメンシアの拝塔と水盤があります。
水盤の形に特徴があり、太陽はイエス様、三日月はマリア、さらにキリスト教的なものとして魚の形をしています。
印通寺港(いんどうじこう)近くには松永記念館があります。
電力王とも言われ、福岡の市電の設立、電力会社の設立に関わっています。
それを記念して、西鉄より寄贈された市電が展示されています。
案内板はクリックすると拡大します。
壱岐でいちばん高い場所は岳ノ辻で、周りの島々も見ることができます。写真はクリックすると拡大します。
左上の写真は北側です。
右上の写真は東側で遠く右側に糸島半島や玄界島が見えます。
左下の写真は南東側で遠く中央に加唐島、松島が、右側に馬渡島が見えます。玄海原発はその中間あたりになります。
右下の写真は南側で中央左側に馬渡島が見えます。
左下の写真は西側で中央左側が郷ノ浦港になります。左側に大島、長島が見えます。
右下の写真は北西側で左側に半城湾、遠くに対馬が見えます。
次に、空から見てみましょう。北東側から見ています。左側が旧石田町、右側が旧勝本町になります。クリックすると拡大します。