福岡県大刀洗町(たちあらいまち)
福岡県大刀洗町は筑後中部にあります。
鉄道では西鉄福岡(天神)駅から西鉄天神大牟田線の宮の陣駅まで行きます。
宮の陣駅で西鉄甘木線に乗換え、20分で町中心部の大堰(おおぜき)駅に着きます。
車では大分道の筑後小郡ICを利用します。ICからは約10分で着きます。
町の西部には今村カトリック教会があります。
写真は正面から撮影したものです。
レンガ造りの歴史ある建物です。
ただ、この写真を撮影した(2006.10.5)時には、正面中部のステンドグラスがあった場所が木の板で塞がれていたことが気がかりでした。
現地にある案内には…
今村カトリック教会
Imamura Catholic Church
「16世紀後半この地方に成立したと思われるキリシタン集団は、禁教の時代から1867年の信徒発見まで密かに信仰を守っていました。双塔ロマネスク様式レンガ造りの現教会は、信仰厚い信者のもと大正2年に完成しました。設計・施工は当時の教会建築の名工鉄川与助で、彼の作品中最大規模で秀逸なものです。」
と書かれてあります。
現地にある看板には…
カトリック今村教会
所在地 三井郡大刀洗町大字今七○七番地
「この地方にキリスト教の信仰が芽生えたのはいつごろかわからないが、一五六○年代には筑後地方での代表的なキリシタン集団が生まれたと伝えられる。
一五八七年の豊臣秀吉によるキリシタン禁令、また一六一四年発布の徳川家康による全国的なキリシタン禁止令に基づく弾圧の嵐は、一六三○年代、特に一六三八年の「島原の乱」が終わった年からこの地方にも吹き荒れた。しかし、多くの信徒がかくれて信仰を守った。
一八六七年二月二六日、浦上の四名の信徒により今村の潜伏信徒が発見され、浦上の信徒とひそかに交流を保ちながら信仰を守り通した。
キリスト教が解禁されたのは一八七三(明治六)年である。
一八七九(明治十二)年フランス人宣教師ジャン・マリー・コール師が初めて今村の信徒の司牧に着任し、青木才八家の土蔵を教会代りに使用した。後継のソーレ師により一八八一(明治十四)年に信徒たちが敬愛した殉教者ジョアン又右衛門の墓があったこの地に木造教会(開口六間、奥行十間)が建立された。
二つの塔を持つロマネスク様式赤レンガ造りの現教会は一九○八(明治四一)年に本田保神父により計画され、諸外国、特にドイツからの寄付、信徒たちの労働奉仕のうえ一九一三(大正二)年に完成した。設計・施工は当時長崎で多くの教会建築を手掛けた鉄川与助である。
国内に残るレンガ造りの教会としては貴重な存在である。軟弱な地盤のため基礎工事には技術・コスト面で困難を極めたといわれる。ステンドグラスはフランス製、柱は高良山の杉、レンガは千代田町迎島の五工場に特注したもの、石材は浮羽郡と西見(長崎県)産、内部に掲げてあるキリスト受難の一四枚の聖絵はフランス製である。外部・内部とも建設当初の状態が保たれ、明治後期から大正初期に建設された教会建築の様子を知ることができる。
平成十一年三月
大刀洗町教育委員会 」
と書かれてあります。
左の写真は今村教会にあるルルドです。ルルドとはフランスにある町の名で、カトリックの巡礼地になっている場所です。
右の写真は教会堂建設を計画し、携わった本田保神父の像です。