旧・茨城県美野里町(みのりまち・現小美玉市の一部)
旧・茨城県美野里町は県中央部にありました。2006年(H18)3月27日に小川町(おがわまち)、玉里村(たまりむら)と合併して小美玉市(おみたまし)になりました。
町内には唯一の駅として羽鳥駅があります。
鉄道では東京(上野駅)からJR常磐線特急「ときわ」(石岡駅で普通に乗換)で約1時間、普通で約1時間30分です。(待合せ時間を含まず)
車では東京方面からは常磐道の千代田石岡ICを降りてから約15分、ETC利用では石岡小美玉スマートICを降りてすぐです。
福島方面からは岩間ICを降りてから5分もかかりません。
美野里町は土浦と水戸とのほぼ中間に位置し、まわりを石岡市、旧・八郷町(やさとまち)(現石岡市の一部)、旧・岩間町(いわままち)(現笠間市の一部)、茨城町(いばらきまち)、旧・小川町(現・小美玉市の一部)に囲まれています(左の写真の地図で下から時計回りに赤字で書かれている地名と対応しています)。
人口は2万4千人、面積は62km2で、町の形はほぼ四角形をしています(左の写真のクリーム色の部分)。
標高の平均は26.2mで低く平らな台地が続いています。豊かな緑と平坦で肥沃な大地の町は自然環境には大変恵まれており、西方には筑波山をはじめとして、素晴らしい山並みを見ることができます。
筑波山は見る位置によって、形が変わって見えます。お隣りの石岡市からは頂上が2つ(M字形)に見えますが、美野里町からは右の写真のように富士山のようなきれいな末広がりで見えます。美野里町からは結構、小さく見えるので、写真を撮るにもこれが精一杯でした。拡大したために、かなりぼやけてしまいました。
町の西部を常磐線(左の写真の点線)、常磐自動車道(左下から上中央に向かって緩やかにカーブしている線)、国道355号線(笠間街道、常磐線に沿って書かれている線)が南北に、中央部を国道6号線(水戸街道、中央を斜めに貫いている線)が南から東に貫いています。
1956年(S31)に竹原村(たけはらむら)と堅倉村(かたくらむら)が合併するにあたって、名前を竹原堅倉村とする予定でしたが、もっと村民が愛着の持てる名前を付けるために一般公募をして美野里村(みのりむら)となり、1959年(S34)に町制施行に伴い美野里町となり現在に至っています。町の名前には美しい野の里という意味が込められています。
1895年(M28)、常磐線土浦〜友部間の開通によって羽鳥駅が開業し、翌年には東京まで鉄道で結ばれました。駅は当時の中心部より2〜300m北東にあり、周辺は松林が続いていて、開業時、駅を利用する乗客はきわめて少なく一列車数人程度でしたが、現在は駅のおかげで周辺に住宅団地が造成されてきました。
町の基幹産業は農業で、名前の通りに町中に緑が溢れています。稲作が中心ですが、野菜や果樹の栽培も多く、養豚や酪農も盛んです。また、1960年頃に石材やトマト加工工場等が進出してからは産業別就労人口の割合にも変化が見受けられます。町では基幹産業の農業をさらに発展させ、商工業と合わせ調和のとれた「太陽と緑の活力ある田園都市」づくりをめざして努力しています。
写真は町の中央部にある福祉施設、四季健康館です。中にはお風呂もあり、お世話になってます。
町の西部にある羽鳥には私が所属している教団のキリスト兄弟団が運営している聖書学院があります。1万3千坪もの広大な敷地を持っています。
左の写真は校舎です。バックにある林も学院の敷地です。右の写真は講堂です。講堂は3月に行われる教団の集会で使われます。
美野里町は東京と比べると寒く、院内にある池は冬になると写真のように凍ります。
めったに雪は降らないのですが、真冬には−10度まで気温が下がることがあります。ですから、水道が凍結することがあります。
また、隣接して、羽鳥教会があります。林に囲まれた中にある白いきれいな教会です。
ごく、まれに雪が降ることがあります。この写真は1998年(H10)1月の写真で、この月は2回も大雪になり、一面が銀世界になりました。この地方でこれだけの雪が降ることは珍しいのです。
1998年(H10)1月には常磐線開業100周年を記念してD51形SL(デゴイチ)が運転されました。この写真は試運転の時に撮ったものです。左はスーパーひたちとのツーショット(SLが羽鳥駅に停車中に特急が通過)、右は羽鳥教会をバックに撮ってみました。(走行中の写真を撮るのは大変でした)
学院には犬と猫がいます。左上の写真は犬の「ダイゴロウ」(大吾郎、メス)で、右上と下の写真は猫の「ネネ」(メス)です。(動物の写真を撮るのは大変でした)
とてもかわいく、学院にいる大切な仲間です。