後 楽 園
後楽園がある岡山市は岡山県南部の中央にある県庁所在地の都市です。
鉄道では山陽新幹線を利用します。
車では山陽道の岡山ICを利用します。
後楽園は岡山藩主池田綱政公の時代1687年に着工、1700年に完成しました。
当時の姿を大きく変えることなく今の時代に伝えられてきましたが、1884年(M17)の水害、1945年(S20)の戦災では大きな被害を受けましたが、その後に復旧されて現在に至っています。
名前の由来は岡山城の後に造られた園という意味で後園と呼ばれていましたが、先憂後楽の精神に基づいて造られていることから1871年(M4)に後楽園と改められました。
中は芝がたくさん敷き詰められており、明るく広々としています。
写真の建物は延養亭です。藩主の居間として使われていました。後楽園の中心的な建物です。
上右の写真の右側には鶴鳴館が写っています。
左の写真は能舞台です。池田綱政公は能に熱心でした。この建物は戦後に再建されたものです。
右の写真は向かいにある花葉の池です。ちょうど、蓮の花が咲いていました。
現地にある看板には…
花葉の池
「この池には、大輪の白い花を咲かせる蓮の「一天四海」(通称・大名蓮)が夏に見頃となります。
池には、園内の曲水と沢の池から滝の石組の中に巧みに導かれた水が美しく流れ落ちてきます。」
と書かれてあります。
後楽園からは岡山城を見ることができます。
左の写真は後楽園から、右の写真は岡山城の天守閣からの風景です。
写真の白い道は同じ道です。
後楽園のそばは旭川が流れており、そこから水を引いています。
ですから、後楽園のもう一つのみどころは水の景観です。
写真は中央にある沢の池です。
現地にある看板には…
沢の池
「園内中央にある池で、左から島茶屋のある中の島、釣殿のある御野島、白松青松が美しい砂利島があります。
中の島と御野島の間には、かつての上道郡と御野郡との郡境があり、今でも石標がそのなごりを伝えています。」
と書かれてあります。
沢の池をバックに写真を撮りました。
旭川を挟んで対岸には岡山城があります。
左の写真は旭川の対岸である北側から、右の写真は南側から撮影したものです。