トップ・ページへ  前のページへ

旧・福岡県朝倉町(あさくらまち・現朝倉市の一部)


 旧・福岡県朝倉町は筑後東部にありました。2006年(H18)3月20日に甘木市・杷木町(はきまち)と合併して朝倉市になりました。
 車では大分道の朝倉ICを利用します。
 南には九州最大の川である筑後川が流れております。

 台地の土地に筑後川の水を流すには汲み上げなければなりません。
 その役割を担っているのが水車なのです。
 ここの水車は2連や3連になっていて、町のいちばんの観光スポットになっています。

 

 

 写真は3連水車です。水の力で車を回転させ、水を汲み上げているのをみていますと、自然の力、エコロジーを感じずにはいられませんでした。

 

 

 

 写真は2連水車です。3連のものと比べますと、当然ながら汲み上げる水の量が3分の2になります。

 

 現地にある看板には…

  国指定史跡 堀川用水及び朝倉揚水車 平成2年7月4日 国指定

「 所在地  朝倉郡朝倉町大字山田・菱野・古毛(こも)
  指定地域 堀川(取水口より久重橋)
        三連1基 二連2基 計3基

   歴史・由来

 当時、絶え間なく押し寄せる筑後川の洪水や、かんばつ、ききん等天災異変の中に幾多の犠牲と死闘を繰り返しつづけてきた祖先が新田開発のため、寛文3年(1663年)筑後川から水を取り入れることにより堀川を造った。更に60年後の享保(きょうほう)7年(1722年)岩盤を切り貫き現在の取水口を新設したのである。しかし、山側の土地は位置が高いため、堀川の恩恵を受けることができなかった。そのためにこの地では自動回転式の水車が設置されたのである。三連水車は寛政元年(1789年)に設置されており、三島・久重(ひさじげ)の二連水車も同じく宝暦のころに設置されたものと思われる。
 毎年6月中旬から10月中旬まで作動し、かんがい面積は、3基で35ヘクタールにもおよぶ。

  1.山田堰(ぜき)

 寛政2年(1790年)当時の庄屋古賀百工を中心にして、堀川の水量を増加させかんがい面積を増やすために筑後川(堀川取水口上部)に堰を造った。これが山田堰である。表面積25.370m2で、今日もなお昔の面影をとどめ堀川への導水を容易にし、670ヘクタールの美田をうるおしている。

  2.切貫水門内部

 享保7年(1722年)安定した水量を確保するために旧取水口を現在の位置に移した。内部は巨大な岩をノミでくり貫いてあり、トンネル式となっている。当時、長さ11間(約20m)内法5尺(約1.5m)四方で新設され、その後数回の改修が行なわれ内法10尺(約3.0m)四方に広められて現在に至っている。

  3.三連水車

 寛政元年(1789年)もともと二連式であったものに一挺加えることにより現在の形態となった。車の直径は上部4.76m、中部4.30m、下部3.98mでこの大きさは、水車の回転数、水田の高さ、揚水の量と密接な関わりをもっており、一日当たり7.892t揚水し13.5ヘクタールの水田をかんがいしている。

   朝倉町教育委員会 」

と書かれてあります。