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天 橋 立


 天橋立は京都府宮津市の風光明媚な場所で、宮島(広島県)、松島(宮城県)と並んで日本三景に数えられています。

 鉄道では京都から写真の特急「はしだて」(写真は2011年(H23)3月まで運転されていた一世代前のものですが…)で約2時間、大阪(新大阪駅・大阪駅)から特急「こうのとり」に乗り、福知山乗換えで約2時間15分で着きます。
 車では京都縦貫道の宮津天橋立ICを利用します。

 それでは、北近畿タンゴ鉄道の天橋立駅を降り、北側に向かって歩いていきましょう。

 始めにあるのは小天橋です。この橋は大きな船も通れるように北側3分の2が90度回転できるようになっています。
 下右の写真は回転している最中です。

 

 

渡った先には案内図があります。クリックすると拡大します。

 

 

 

 しばらく進むと日本の道100選の顕彰碑があります。

 現地にある看板には…

  「日本の道一○○選」顕彰碑

「府道「天橋立線」は、昭和六十二年八月十日の「道の日」に、建設大臣から日本の特色ある優れた道路として認められ、「日本の道一○○選」の一つとして顕彰されました。
 この府道「天橋立線」は、日本三景の一つ天橋立の中を通る道路であり、周囲の景観との調和を図るため砂利道のまま管理しています。道路の幅員は三.五メートルから五.五メートルで、沿道には大小約七.○○○本の黒松が続き、白砂にふちどられた天恵の景観を有するとともに、数多くの史跡や物語を秘め、美しい風光を保ち、地元の人々はもとより、全国的にも多くの人々から愛され親しまれています。

  京都府 」

と書かれてあります。

 

 

 さらに進むと大天橋があります。

 

その先は松並木になっています。

 

 

 写真は知恵の松です。

 

 

 写真は与謝野寛・晶子夫妻の歌碑です。

 現地にある看板には…

  「与謝野寛・晶子夫妻の歌碑」

「 小雨はれ みどりとあけの虹ながる
   与謝の細江の 朝のさざ波  寛

  人おして 回旋橋のひらく時
   くろ雲うごく 天の橋立  晶子

 与謝野寛・晶子夫妻は、寛の父礼厳が加悦出身ということもあり、天橋立にたびたび足を運ばれました。
 昭和五年五月 丹後に八泊のうち天橋立に二泊して、寛 四十五首 晶子 六十種の短歌を遺されています。
 昭和十年 寛 逝去後、傷心の晶子が天橋立を訪れたのが昭和十五年でして、帰京後、発病し、以後旅をすることもなく、昭和十七年逝去されました。
 最後の吟遊の旅が当地、天橋立でした。夫妻が多くの歌を遺されたこの天橋立に歌碑を建立することが私たちの責務ではないかと考え、多くの天橋立を愛する人、与謝野夫妻に思いを寄せる人たちのご協力の下に、ここに歌碑を建立する運びとなりました。
 寛・晶子夫妻の歌をよみ、お二人を偲んでいただければ嬉しく存じます。

  平成十八年(二○○六)七月七日建立

    天橋立を守る会
    歌碑建立発起人会 」

と書かれてあります。

 

外海側の砂浜です。

 

 

 それでは、南側の文珠山山頂にある天橋立ビューランドから眺めてみましょう。
 こちらからの眺めは龍が天に登る姿に見えることから飛龍観と呼ばれています。